展覧会ウェブサイト
アドルフ・ヒトラーが権力を握り1年前の1932年にドイツのドレスデンで生まれた。ヒトラー政権に寄って歪められた少年時代を送る。1960年代半ば戦死した叔父の一人を描いている。統合失調症を患っていた叔母マリアンネも描いた。ナチス政策で精神病院に入れられ生きるに値しないとされた障がい者を組織的に殺害した悪名高い「T4作戦」に寄って餓死させられた。1945年故郷のドレスデンはイギリス軍による空襲で壊滅した。当時現地にはいなかったものの深く心を痛め爆撃の題材も制作するようになった。戦争終結時リヒターの家族は東ドイツにいたが1961年に西側へ亡命した。(当時29歳)
東ドイツにいた頃は西ドイツへと行き来することはさほど難しくなく、西ドイツに住む叔母から美術に関する書籍や雑誌を送ってもらっていた。アカデミー卒業後、壁画画家として生計は立てられたが、1959年の西ドイツのドクメンタ2を訪問しジャクソンポロック、フォートリエ、フォンタナなどの作品を見たことが転機となり、ベルリンの壁の建設が始まる直前の1961年に西ドイツへ亡命した。
活動初期から、リヒターが選ぶ題材は多岐にわたっていました。新聞や雑誌に掲載された一見何気ない写真を取り上げています。1962年に制作され、リヒター自身が「作品番号1」と位置づける《テーブル(Tisch)》はその代表例です。イタリアのデザイン雑誌に掲載されたテーブルの写真をもとに描かれ、そのイメージの一部が意図的に覆い隠されています。
その一方で、《叔父ルディ(Onkel Rudi)》や《叔母マリアンネ(Tante Marianne)》のように、自身の過去につながる家族写真を題材とした作品や、《爆撃機(Bombers)》のようにドイツの歴史の暗い記憶を想起させる作品も制作しました。
1960年代半ばにはすでに、彫刻作品《4枚のガラス(Four Panes of Glass)》や初期の《カラーチャート(Color Charts)》を通して、絵画が現実をあたかもそこにあるかのように再現するという従来の考え方に疑問を投げかけています。
さらに、《都市風景(Cityscapes)》では絵具を厚く塗る表現主義的なスタイルを試み、《風景(Landscapes)》や《海景(Seascapes)》では、西洋絵画の伝統的なジャンルをあえて独自の方法で捉え直しました。




Table,1962。 デザイン誌の写真をもとに描いたテーブルを、渦巻き状の落書きで覆い隠した。描かれたものを隠すことでより大きな意味を顕在化させる



